ある日の午後、一人の来客があった。と言っても私が指定した日にやって来た来訪者だった。彼を応接間に通すと私はすぐに聞いた。
「君の言う私の健康に関する重大情報とは何ですか?」
すると相手は答えた。
「この中に入っています。」と言って大きめの封筒を差し出した。
中にはA4サイズの用紙が一枚入っているだけだった。そこには
「伊藤一馬氏:
現在重大疾患の第一段階にある。
疾患の場所は「胃」
現在なら直ちに治療可能。
但し放置すれば致命傷となる。
その場合の命日は20〇〇年〇月〇日(月)」
とだけ書いてあった。
私は言った。
「これはどういうことですか?」
来訪者は答えて言った。
「手紙でお知らせしたようにこれは私の夢の中に現れた祖父の言葉を書き留めたものです。あなたがこの内容をどう受け取られるかはもちろんあなたの自由です。その後どういう行動をおとりになるかもそうです。但しもしここに書いてあることが本当だと思われた時は寄付をお願いしたいのです。もちろん、寄付をしていただかなかったとしてもあなたには何の不利益も及びません。あなたの全くのご自由な判断にお任せ致します。ただ繰り返しますがもしご同意いただけた時は一千万円の寄付をお願いしたいのです。」
「そのお金はどうするのですか?」と私は聞いた。
「ご存知かどうかわかりませんが、音楽家、特にジャズというジャンルの音楽家には悲惨な体験に遭遇する人が結構います。私はいただいた寄付を元にしてジャズピープル支援財団というものを作りたいのです。これは夢に出て来た祖父の言葉でもあります。戴いた寄付金を資金にするといいと言っていました。」
「よくわからないのだがなぜあなたがそういう運動のようなことをするのですか?」と私は聞いた。
「私は昔からジャズが好きでした。でも聞いていくうちにそのジャズを演奏する人たちには薬物依存症だったり、交通事故、喧嘩などで大けがしたり命を落とした人達が少なからずいることを知って心を痛めていました。そんな時、夢に現れた祖父が今回のようなことを私に語ったのです。それでこうして私は活動しています。」
「あなたはそうやって個人の弱みに付け込んでお金をまきあげているってことですよね。」と私はわざと意地悪っぽく言った。
「そうお思いになる方もいらっしゃると思います。繰り返しますがこれは強制ではありません。寄付をただしていなくてもあなたにはなんの迷惑もかからないはずです。」と訪問者は言った。
私はとりあえずこの日は書類を受け取っただけで訪問者には帰ってもらった。どうやら彼は数々の著名人のところへ出かけては資金集めをしているようだった。
私はマネージャーと相談した。マネージャーとは何でも相談できるようになっていた。 また私はそうしないとうまくやっていけないこともよくわかっていた。 マネージャーは言った。
「とりあえず病院で検査してはどうですか。このところ忙しかったので人間ドックもここ3年ほどは行ってないでしょう?」
驚いたことに大学病院での検査結果は来訪者が持ってきた用紙に書いてあったとおりだった。私はその場で簡単な処置を受けるだけで済んだ。その時担当医師に私は聞いてみた。
「先生、もし私がこのことに気付かずにいたらどうなっていたでしょうか?」
すると医師は淡々と答えた。
「放っておいたら数年のうちに最終ステージまで到達したでしょう。」
これを聞いて私は驚いた。
その夜はなかなか寝付けなかった。自分が近い将来寿命を迎える運命だった事を知って衝撃を受けたのだった。同時に「助かった!」という強い思いに打たれた。それであの来訪者の存在が気になり始めた。
ここは厚生労働省の大臣室である。先程から首席秘書官が本山大臣に話しかけていた。
「大臣、大臣秘書官の一人が気になることを報告してきました。なんでも有名人のところへその人の健康状態に関する情報を持ち込んでいる人間がいるようなのです。しかもその情報は当たっているそうです。既に200人がこの男の訪問を受けていたそうです。これは由々しきことだと思うのですが。」
「もうすこし分かりやすく説明してくれないか。私が今忙しい事は君もよく知ってるよね。」と不機嫌な口調で大臣は返事した。
「わかりました。では手短に申します。」と主席秘書官はことの顛末を大臣に報告した。
「もっと調査してみてくれ。それから考えても遅くはないだろう。」と大臣は返事した。
数日経って報告があった。
「大臣、例の情報予告の男の件です。埼玉県在住の元中学校教師の中山吾一、52歳です。一身上の都合で途中退職して今は無職です。」
「詳しく説明してくれ。」と大臣。
「はい、現在までに200人に接して約2億円の収入を得ております。これは寄付の扱いで課税対象にはっていません。」
「取締りの対象にはならないのかね。」
「はい、通常の医療行為には相当しないので医事法や薬事法には抵触しないそうです。ただ、おかしなことがありました。」
「それはなんだね。」
「はい、最初の頃はジャズ音楽家を支援するための寄付だと称していましたが、実際にそのような活動を行った実績はないそうです。ですから詐欺の疑いがあるそうです。」
「詐欺罪では軽いな。もっとないのかね。」
「とりあえずは詐欺の容疑者で取り調べるうちに何か出て来るかもしれません。」
「わかった。また何かわかったら教えてくれ。」
「了解しました。公安にはそのまま調査を続けるように指示します。」
それから3ヶ月後のことである。ここは埼玉地方検察庁の一室。
「中山さん。では尋ねますがあなたは情報提供の見返りに寄付を要求していますね。」
「いえ、それはあくまでもご本人の気持ち次第です。」
「その理由はジャズ音楽家を支援するためだとか言ってたそうじゃないですか。でもあなたは実際には何もしていないとの調査結果が出ているんですよ。これをどう説明するのですか。」
検査事による本格的な取調べが始まった。
3回目の取調べの時だった。 中山がふっともらしたのである。
「検事さん、実は昨夜留置所で寝ていた時祖父の夢を見たんですよ。祖父が言うにはお前が今取り調べを受けている検事の健康状態の情報をお前に教えよう。それを伝えればお前の話を信じてもらえだろう。」
「あなたのおじいさんはどんなことを言ったのですか。」
「検事さん、紙と何か書くものを貸してもらえませんか。今ここで書きます。
「覚えているんですね。」
「そうです。いつものことです。紙に書き留めるまでは覚えています。書き留めると途端に忘れてしまいます。」
検事は紙とエンピツを中山に差し出した。 しばらくして検事は紙を受け取って読んだ。
そこには
「〇〇〇 〇〇〇氏:
現在重大疾患の第一段階にある。
疾患の場所は「肺」
現在なら即治療可能。
しかし放置すれば致命傷となる。
その場合の命日は20〇〇年〇月〇日(水)」
たったそれだけだった。
「君、こんなこと信じられると思うのですか。ふざけたことを言うと怒りますよ。」と検事は顔を引きつらせて言った。
それから数日後、中山はさきほどの検事の取調べを受けていた。
「中山さん。あなたの話の信憑性を確めるために私は病院で検査を受けてきました。結果はまさにあなたの言った通りでした。納得はできませんが事実は事実です。私は近々治療を受けることにしました。今なら初期の治療で済むそうです。その意味ではあなたに感謝します。当然ですが私には1千万円の寄付ができないことはお分かりだと思います。」
「それは構いません。。いつも寄付していただくかどうかはご本人がお決めになることですので。祖父も検事さんに寄付をお願いするようにとは言ってませんでした。私の潔白を証明するためだと言ってましたので。」
「でもあなたの置かれている立場は微妙です。実際私も困っています。」
「検事さんがそんなことをおっしゃっていいのですか。」
「検事も人間ですからね。」
「では私はどうなるのですか。詐欺罪に問われるのですか。」
「それはちがいますね。あなたはジャズ音楽家を支援する気持ちには変わりはないと言いました。そのための活動開始が遅れているだけだとも。」
「それは本当です。」
「おそらくあなたは不起訴になる公算が大きいと思われます。」
結局中山は不起訴で釈放されたのである。
一方厚生労働省の大臣室では怒号が響いていた。
「どうして不起訴になったんだ。いや不起訴にしたんだ。」と大臣は主席秘書官に詰め寄った。
「大臣、どうみても起訴するだけの証拠が揃わなかったとの報告が出ています。」
「だが、そんな怪しげな行為がこのままかり通ったら、医者はどうなる?この国の医療はどうなるんだ?昔のおまじないや祈祷と同じじゃないか。」
大臣の怒りは治まらなかった。
中山氏はその後ジャズ音楽家支援団体を立ち上げた。Jazz People Assist Network(略してJAPAN)である。。財団法人であった。マネージャー、医師、弁護士の3人1チームで活動する。医師がメンバーにいるのはジャズ音楽家は薬物中毒やアルコール中毒などで健康を害している人間が少なからずいるからである。また経済的な理由でいろいろなトラブルを抱えていることもその多く、そのために弁護士が必要なのである。電話一本、メール一通、ファックス一枚で直ちにこの3人が駆けつけて支援を行う体制が整ったのである。
この運動の実績は社会的な成果を上げて行った。そしてその後音楽家支援財団のMusic People Assist Network(Mupan)、スポーツピープル支援財団のSports People Assist Network(Span)、そしてポスドク支援ネットワークのPost Doctor Assist Networek(Pdan)へと続いていったのである。そして多くのジャズミュージシャン、クラシック音楽家、演歌やポップスの歌手、スポーツ選手、そしてポスドクの研究者達に支援の手をが差し伸べられたのである。
本作品は作者の創作によるフィクションであり、現実に存在するものとは全く関係ありません。
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