斉藤昭雄は関東近県のごく一般的な警察官だった。しかし時折、国際的な会議や催しがある時は東京警視庁へ応援と称して手伝いに行くことがあった。もちろん斎藤だけではなかったが彼は人一倍体格が良かったのでまず応援メンバーから漏れることはなかった。
ある日、東京への出張から戻ってきた斉藤は妻の恵美子につぶやいた。
「俺はもういやになった。16時間も立ちっぱなしで足が棒になった。こんな仕事もうやめたい。」
すると恵美子はいつものように静かに言った。
「そうね。あなたには向いてないのかもね。私はいいわよ。でもちゃんと次の仕事を見つけてからにしてね。」
いつものパターンだった。斎藤は今の仕事が全くいやというわけではなかった。 ただ時々不満に思うこともあるという程度だった。この不況の時代にそんなうまい話などある訳もなかった。斉藤は黙るしかなかった。
その夜、亡くなった祖父の夢を初めて見た。祖父は地方の警察署長で定年を迎えた優秀な警察官だった。夢の中で祖父は斉藤に向かって言った。
「わしは孫のお前が警察官になって嬉しかった。しかしだ。お前を見ていると不憫でならない。何時までたっても昇進試験に受かっていないのではないか。そのままでは給料だって上がらないだろう。お前の嫁だって陰ではお前の出世を望んでいるはずだ。わしは孫のお前をなんとかしてやりたいのだ。お前にチャンスをやろうと思う。心配するな。わしは天国でも警察官をやっている。極楽第3ステージ第7分署の署長だぞ。だからこっそりお前に力を貸すことにした。」
朝目が覚めた斉藤は不思議な気分だった。 たいていの夢は起きた時にはもう忘れている。でも今回は細かいところまではっきり覚えていた。
「あれは本当に夢だったんだろうか。」
不思議だったがそれ以上考えるのをやめていつものように出勤した。
今日は交番勤務である。 通常の引継ぎの後しばらく外を見ていた。ふと交番前の掲示してある指名手配写真に目をやった途端、すさまじい映像が目に飛び込んできた。それは凶悪犯としてずっと指名手配されていた男のリアルな映像だった。その逃走中の犯人の姿とともに周囲の風景がくっきりと斉藤には見えたのだ。
「ひゃあ!」と斉藤は叫んだ。
不審に思った同僚が声をかけたのであわてて興奮を押し殺した。
「まさか祖父の言ったことはこれか。」
その逃亡犯には300万円の賞金がかけられていた。
その夜斉藤は恵美子が床についた後も、一人ソファーに腰掛けて考え込んでいた。
今日見た逃亡犯が生活していたのは斉藤の住んでいる市から遠くない場所だった。交番勤務の自分が非番の時にたまたま指名手配写真の男を目撃しても十分あり得る話である。もし自分があの逃亡犯を逮捕すれば大変な手柄になる。署長表彰だけでなく金一封もあるだろうし、何より犯人逮捕の実績が昇進のチャンスにもなる。
しかし一方自分一人で逮捕するのは無謀だ。へたすると命の危険もある。それにもし警察官である自分が逮捕してもそれは当然の行為であり、どうみても賞金はもらえないだろう。
じゃあどうする? 友人の中村修一に頼もうか。 彼にこっそり情報を伝える。 そして彼が警察に連絡する。そして彼が賞金の300万円を手に入れたら二人で山分けして一人150万円になる。
しかし修一が俺のことを警察でしゃべったらそれこそ大変なことになる。いくら口が固いとは言え警察の取り調べには隠しきれないだろう。友人を巻き込むのはやはりまずいと斉藤は考えた。
結局斉藤は県警本部宛に密告状を送った。そしてまもなく逃亡犯は逮捕されたのである。
当然、賞金は誰の手にも渡らなかった。幸い逮捕に向かった警察関係者に被害はなかった。これでめでたしめでたしのはずだった。しかし斉藤にはなんとなく割り切れない気持ちが残った。すべてを早く忘れようと無理やり勤務に励む日々が続いた。
まもなく事件が起きた。県警本部から斉藤に呼び出しの連絡が来たのだ。そして執拗な追求が始まった。斉藤が密告状を書いたことが県警本部では既にわかっていたのである。密告上は定規を使って垂直と水平の線だけで文字を作って書いた。これなら絶対にばれないだろうと考えに考えた方法だった。
しかしうっかりしていた。斉藤は手紙に切手を張る時、小さい頃からの習慣でうっかり切手の裏側を舐めてしまったのだ。全く意識していなかった。習慣とはこわいものだ。警察官として採用された時点で斉藤の指紋もDNAもすべて県警本部で採取登録されて登録済みだった。
気の弱い斉藤はすぐに白状してしまった。 調査官は逃亡者の写真をいくつか斉藤に見せた。斎藤の話の信憑性を確めるつもりらしかった。見せられたどの写真にも心当たりはなかった。しかし最後の一枚になった時、前の時のようにその指名手配犯の顔や住んでいるところの様子がすーっと眼に入ってきたのだ。
数日後、その逃走犯は逮捕された。もちろん大人数による逮捕劇となった。しかし入念な準備をしていたため事なきを得た。警察にとっては大手柄だった。新聞を初めマスコミはこぞって大いにはやし立てた。
斎藤はその後も3ヶ月ごとに県警本部へ呼び出された。表向きは昇進希望者のための一般研修となっていた。その後も斉藤の透視によって何名かの逃亡犯が逮捕された。斎藤の持つ特殊な能力は極秘とされ、ごく一部の警察関係者のみが知るところとなっていた。
そんなことが繰り返されていくうちに、だんだん斉藤は自分のやっていることに自信もやりがいも感じられなくなっていた。
このままでは大きな昇進は期待できそうになかった。と言うのもごく平凡は斉藤警察官が急に大きく昇進すると、彼に関する秘密が何かの拍子に発覚する恐れがあったからである。県警本部ではそれを恐れていた。
何しろこれは県警本部だけの極秘事項だったのである。斎藤はあくまでもごく普通の警察官でなければならなかった。そのことは斎藤にとって次第に重荷になっていたのである。
そしてついに斉藤は警察官をやめる決心をした。事情を知っているごく一部の警察関係者からは思いとどまるように説得されたが斉藤の決心は変わらなかった。
警察官をやめた斉藤はその後、迷い猫や迷い犬専門の探偵事務所を開いた。ふとしたことから斉藤は犬や猫でも彼の特殊能力が働くことに気づいていたのである。今では全国的なマスコミでも取り上げられる位の成績を上げており、知る人ぞ知る有名人になっていた。
実は犬や猫でも全国的にあちこちで賞金つきのポスターが結構あった。犬や猫なら見つけた時の報酬と懸賞金を受け取っても誰からも文句を言われないのである。お尋ね者の逃亡犯よりも犬・猫の方が透視した時のイメージが湧いてくる確立がはるかに高かったのも幸いした。
余りにも発見する回数が多いのでマスコミから不思議がられるのは仕方がなかったが、その都度もっともらしい理由付けするのは今では苦痛では無くなっていた。斎藤の秘密を知っている警察関係者達も黙って見てくれているようだった。
退職以来、呼び出しはなかった。特殊能力がありながらそれを表に出せない斉藤に同情しているのだろうと斉藤は勝手に思っていた。収入が増えてまんざらでもなさそうな妻の恵美子も納得してくれているようである。斉藤は当分この仕事を続けるつもりである。
本作品は作者の創作によるフィクションであり、現実に存在するものとは全く関係ありません。
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