朝早く自宅の電話が鳴った。副官房長官からだった。相談したいことがあるから大至急会いたいとのことだった。私とジェームスは官房副長官に会うために都内の某ホテルへ向かった。
ホテルの一室で官房副長官は待っていた。秘書や護衛のSPも一緒だった。官房副長官は彼らをドアの外に出すと話を切り出した。
「実は困ったことになった。官房長官が首相から預かっていた重要な書類が紛失した。どこかに落としたのか、それとも盗難にあったのかはまだわからない。そこで相談なんだが、君の知り合いの田所博士に連絡を取って欲しい。」
田所と私は高校~大学と一緒だった。 私は経済界へ入ったが彼は研究の道へ進んだ。 今でも時折連絡を取り合っている。とにかく彼の研究はユニークだったので興味があった。
私は田所博士に連絡したが今大阪にいるとの秘書の返事だった。そこで大至急東京へ戻ってくれるよう私は田所博士に頼むことにした。
「急で申し訳ないが重大なことが起きている。そこで君の力を借りたい。大至急東京へ戻ってきて欲しい。」
田所博士の返事はOKだった。こういう時は学生時代の同級生はありがたい。多少の無理でも聞いてくれるのである。
私はジェームスに乗って東京駅まで田所博士を迎えに行き、そこで彼と合流して一緒に官房副長官の所へ行くことになった。
再び都内の某ホテルの一室である。先程から官房副長官、田所博士、そして私の3人で深刻な話を続けていた。
博士は途中、私と2人だけで話したいとのことで別室へ移動した。
「私は政治がらみの話しは苦手だ。それに今の政府に特にお世話になりたいとも思っていない。これは主義・主張とは関係ないことだが。」
そこで私の出番である。
「5年前に君の研究所で大量の蓄電池を保有しているとのことで警察の捜査を受けたことがあっただろう。その時私は手助けしてあげただろう。実はあの時私は官房副長官に頼んだのだ。だから君も事なきを得て今でも研究を続けていられる。だからあの時の恩返しと思ってくれないか。」
そう言われると彼は弱かった。しぶしぶ了解してくれたのだ。
私達は田所博士の研究所へ移動しました。
「これが時間逆進装置です。」 目の前には大きな器械が何台も設置されていた。さながら電子部品を作る工場のようである。
田所博士がもともと研究していたのは物質転送装置だった。 博士はドラえもんに出てくる「どこでもドア」のようなものを想定していたらしい。しかし彼の作った装置では対象となる物質を原子レベルでスキャンしてデータを送り、それをもとに3D原子プリンターで再現すると、転送前と転送後で2ヶ所に同じものが存在してしまうのである。もし人間を転送すると同じ人間が2ヶ所に存在することになる。これは物理学的にもまた倫理上からも大問題であった。結局国連に加盟するすべての国々において人間の転送は禁止されたのだった。
ある日のことだった、研究所内で実験していた田所博士のところで異常な現象が起きていた。3D原子プリンターが勝手に動きだしたのである。そして再現されたものは一通の手紙だった。それはなんと10年後の田所博士が送ってきたものだった。物質転送装置は時間を超えて作動していたのである。送り元と受取り先に同じ物が存在する点はそれまでの物質転送装置の働きと同じである。田所博士から報告を受けた日本政府は直ちに国連に報告しその結果、物質転送装置の時と同じように人間を過去や未来へ送ることは禁止されたのである。
原子レベルでスキャンされたデータは3日前の田所博士に送られた。
データの送信が終わって官房副長官が帰った後、私は田所博士に言った。
「なんの書類だったんだろう。まさか重要な国際事件に関係あるものじゃないだろうね。官房長官ともあろう人がそんな重要な文書を無くすとは信じられない。」
「そうだ。官房長官には多くの秘書もついていたはずだ。一体どういうことなのか私にも理解できないよ。」
官房副長官の依頼はこうだった。
3日前の田所博士所宛に手紙を送る。 それを田所博士から官房副長官に届けてもらう。それを受け取った官房副長官は重要文書がいずれ紛失することを知る。そこで彼は文書が紛失しないように最新の注意を払うという流れである。官房副長官はもちろん官房長官に文書の保管について「書類の保管はいつも以上に慎重になさって下さい。」との具申を行う。そして時間をおいて文書の安否をチェックする。場合によっては官房長官を説得するために今回とった処置を全部告げることも予定に入っている。
送信してから3時間位経った頃、受信機が作動を開始した。 3日前の田所博士からだった。 現在の田所博士はそのデータを全部受信したことを確めた。そしてそのデータを3Dプリンターに転送した。30分ほどかけて3D原子プリンターが再現したのは自分達が3日前の田所博士に宛てたのと同じような手紙だった。宛名は「官房副長官」であり、差出人は「3日前の官房副長官」となっていた。田所博士に頼まれて私はそれを持って官房副長官の元に急いだ。
手紙を読んだ官房副長官は唸った。そして私に博士の研究所で待機しているように言った。自分も後から向かうとのことだった。
「時間は川の流れのようなものだと思う。水面にいるアヒルは下流へ流れされて行く。それは時間の流れにすべてのものが乗せられて行くということだ。でもアヒルが上流に向かって足をかき始めると流れの上で静止する。さらに頑張って足でかくと上流へ進む。でもそれには多くのエネルギーを消耗する。時間も同じだと思う。ある程度以上のエネルギーを注ぎ込めば時間を遡ることができるんじゃないかと私は考えた。」
「その時に使うのは君の大量の蓄電池に蓄えられている電気なんだね。」と私は言った。
「その通りだ。君には色々お世話になった。」と田所博士。
そして一息ついたあとまた語りだした。
「私がこの時間逆進装置を完了したのが10年前だった。私は少しずつ過去の自分に向けてデータを送った。彼からも私に向けてデータを送ってくれるようになった。なぜなら過去の私も現在の私も送信機と受信機を持っているからね。逆にいうと私がすべてのシステムを完了した10年以前にはデータが送れないのだ。なぜそれ以前の私は送られたデータを受信できないから。ラジオやテレビみたいなものだ。」
前に聞いたのと同じ説明がようやく終わった。
そこへ慌ただしく官房副長官がやってきた。官房副長官はいきなり頭をさげた。そして「今回は大変お世話になりました。」と言った。最初それは単なる社交辞令だと思ったが何やら官房副長官の様子がおかしかった。
「実はあなた方に謝らなければなりません。今回のことはすべて政府の重要な決定に基づいていたのです。今度内閣に時間情報室(Time Intelligence Agency)を作ることになりました。略称はTIAです。きっかけは田所博士の研究が実用段階に達しているとの情報があったからです。 現在行っている情報管理システムを時間軸にまで拡大して行うというものです。そこで大変申し訳ないとは思ったのですがお二人を試させていただくことになりました。今回のことはすべて最初から私達が計画したことです。もちろん3日前の私もこの計画の全部を知っていました。今朝方3日前の私に送っていただいた手紙には今回の計画についてすべて書いてあり、また当時の私しか知らないことを幾つも書いておきました。先程いただいた3日前の私からの返信には私が送った手紙の内容は3日前の私が知っていることと完全に一致していると書いてありました。実験は成功だったのです。これで田所博士の発明した時間逆進装置は過去に遡ってのインフォメーションツールとして使えることがわかりました。今後は是非政府にご協力いただきたいとの官房長官からの直々の言付けです。」
田所博士も私も呆れてしまった。官房長官が首相から預かった書類を紛失したというのは全くの作り話だったのだ。自分たちはまんまと担がれていたのである。
「後日改めて担当者が伺います。」と一言残して官房副長官は帰っていった。
残された田所博士と私は怒りを通り越して呆然としていた。
「こんなんじゃ日本の未来はどうなるんだろう?」と私は力なく言った。
「さあ、どうなるんだろうね。政府が時間まで情報収集の手段として使い始めるのだ。気象衛星やスパイ衛星が宇宙から地上を監視するみたいにだ。これからは我々も過去に遡っていろいろと調査されるのかね。」と博士は力無く言った。
かなり時間が経って私が博士の研究室を出た時あたりはかなり暗くなっていた。
本作品は作者の創作によるフィクションであり、現実に存在するものとは全く関係ありません。
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