みいちゃんは私の少し離れた親戚です。もう亡くなりました。随分前のことです。私の母方の祖父の父がみいちゃんの父親です。つまり私の曽祖父の娘がみいちゃんです。
曽祖父は祖父達が生まれて大人になった頃に妻を亡くして再婚しました。その妻との間に女の子と男の子が生まれました。女の子がみいちゃんです。ですから祖父のいとこに当たるみいちゃんですが、曽祖父が遅い再婚だった関係でみいちゃんは私の母の少し年上でした。
祖父のいとこだったのですが、幼い頃の私は母のいとこのような感じでみいちゃんを理解していました。みいちゃんはとてもかしこくてかわいい子だったと祖母は語ってくれました。
でもみいちゃんは女学校に入学してまもなく重い腎臓病にかかってしまいました。一時はとても重態でもうだめかと思われたのですが、かろうじて一命をとりとめることができました。
でも病弱な体になってしまい、またその時飲んでいた薬の副作用だと思われますが髪の毛がかなり抜け落ちてしまいました。それまでのかわいかった姿を思い出すのも辛い感じでした。でも私が知っているみいちゃんは最初からそんなイメージでした。
みいちゃんもだんだん年をとっていきました。みいちゃんの父親、私の曽祖父は私が小学校に上る前に亡くなり、その後はみいちゃんは母親と二人で暮らしていました。というのも弟は太平洋戦争でフィリッピンで戦死していたのです。終戦間近の激戦地でした。
お墓の墓碑銘には弟の名前が刻んであります。でも弟の遺骨がちゃんと戻ってきたのかどうか私は知りません。親戚の中には同じようにフイリッピンで戦死しても遺骨が戻ってこなかった人がいるからです
そして間もなくみいちゃんの母親も亡くなりました。みいちゃんはその後ずっと一人で暮らしていました。ある時近所の人が見に行くとみいちゃんはこたつの中で倒れていました。お医者さんに来てもらったのですがみいちゃんは寝たままでそしてそのまま亡くなりました。43歳でした。みいちゃんの遺骨は父、母、弟と一緒のお墓に納められました。
せめて弟が生きていたらもう少しはいい人生を送れたかもしれません。みいちゃんはかわいそうだったと今でも私は思います。それを考えると居てもたってもいられない気持ちになてしまいます。ですから今日ここに来たのです。
あ、もう一つお話したいことがあります。それは私の母方の叔父のことです。母は長女で5人兄弟でしたが一番下の弟は生まれてまもなく亡くなりました。成人したのは母、弟、妹、もう一人の弟の4人でした。
一番下の弟は地元の商業高校を卒業したのですが就職しても転職を繰り返していたようです。しかも県外へ就職して最後は大阪の建設現場で働いていました。私が幼い頃はよく家にもきて私の相手をしてくれました。でも都会へ就職してからというもの長い間会えませんでした。
私が中学生になった頃、ひょっこり叔父が帰ってきました。みいちゃんのお母さんが亡くなったからです。私は久しぶりに会った叔父にびっくりしたりうれしかったりでした。でも叔父はまた大阪へ帰って行きました。
今度帰って来る時のお土産は何がいいか聞かれたので私は当時夢中になっていた木製の大きな船の模型を頼みました。これは友達が持っていたのですがとてもかっこよくて私もとても欲しかったのです。でも大きな街の模型屋さんでないと手に入らなかったのです。
でも叔父はその約束を果たせませんでした。大阪の建設現場で働いていた時事故にあって亡くなったからです。
クレーン車の下で合図していた時、クレーン車の先端が2、000ボルトの高圧線に触れてしまったのです。その瞬間高圧電流がクレーンの下にぶら下がっていたワイヤーケーブルを通って下にいた叔父の体を流れました。
ケーブルの下端にはフックがついていたと思われます。フックと叔父の間には隙間があったのですが、電流はフックから地面まで叔父の体を伝って放電したのでした。即死でした。
祖母と母が叔父の遺骨を引き取りに行きました。叔父が下宿していたところの大家さんがこんなことを言ったそうです。
「お宅の息子さんは夜間の大学に行きたいと言いました。そして私達に入学金を貸して欲しいと言ってきたんです。私達は息子さんの真剣な話しを聞いて入学に必要なお金を貸してあげました。でもこんなことになったのでお貸ししたお金は返していただかなくて結構です。」
亡くなった時叔父が身につけていた肌着はきれいに洗濯してあったそうです。叔父は事故死という理由で死因解明のために解剖にふされました。私はあとになって祖母からその解剖所見を見せてもらいました。「心臓肥大」という文字を見てドキッとしました。叔父の死について私が覚えているのはそれだけです。
叔父の遺骨は母方のお墓に納められました。亡くなった時26歳でした。一大決心して大学に行こうとした叔父は偉いと思いました。それだけに志半ばで亡くなったことがとても悲しく残念に思いました。
そうです。ここは「世にも悲しい物語博物館」です。一階は病気で亡くなった方、二階は戦争で亡くなった方、三階は事故で亡くなった方、4階は自死で亡くなった方、5階はその他の理由や状況で亡くなった方のコーナーになっています。
あ、そうですね。申込みですが申し込み者が申請用紙にお話の内容を書いてそこにサインをします。そして申し込みたい人のほかに、その話しが本当であるという2人の証人の言葉とサインが必要です。そうすればここに掲示してもらえます。
余りにも悲しくて切なくてどうにもできないことって世の中にたくさんありますよね。せめてそのお話を他の人たちにも聞いて欲しいと希望した人たちがここにやってきます。そして自身が体験したり見聞きした余りにもつらい物語を残していける場所がここなのです。
今日はみいちゃんと叔父のことをお話したくてここに来ました。今から3階と5階の受付へ伺うところです。それでは。
本作品は作者の創作によるフィクションであり、現実に存在するものとは全く関係ありません。
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