私は大金持ちである。いや、正しくは大金持ちになった・・・ばかりだ。しかし長年の夢がかなって趣味の車に情熱を注げるようになった。
ある日、懇意にしている自動車販売店の店長から電話がかかってきた。なんでも新型の車がまたできたから見て欲しいとのことだった。勿論私は即座にオーケーした。彼は約束した日の約束した時間に現れた。応接間に現れるやいなや彼は言った。
「〇〇〇様、実はお電話でもお伝えしましたが今日はその実車を持参いたしました。是非ご覧、いえご試乗下さい。きっと気に入っていただけるのではないかと思います。」
店長と私は地下の駐車場に向かった。そこにはぴかぴかの真っ赤な車が置いてあった。
「ほほ~、この車か。」
ちょっとイメージが違った。随分はでな車だと思った。
「お客様。この車はもちろん自動運転車ですが、そのほかにいろいろ新しい技術が装備してあります。ご説明するより御試乗いただいた方がわかりやすいかと存じます。」
「わかった。では乗せてくれ。」私は運転席に乗り込んだ。自動運転車を試す時は必ず一人で乗ることにしている。見渡したところ車内にハンドルはない。確かに自動運転車だと思った。私はおもむろに言った。
「君はボンドカーかね。」
「そうお呼びになる方もいらっしゃるようです。お客様、どんな御用でしょうか。」
「どこでもいいから走り回ってくれ。」
「了解しました。では出発致します。」
すぐに車は滑らかに走り出した。
最近の自動運転車は随分と進化したものだと私は思った。特に音声認識能力の高さには目を見張った。AIの反応の早さも全く申し分ない。
30分後に出発点に戻ってきた。私は店長に言った。
「店長、気に入った。買うよ。」
「御試乗いただいた方は必ずそうおっしゃいます。このフロントガラスは超硬度の液晶ディスプレイになっております。
〇〇〇様がご覧になっていた前方の風景はすべて液晶画面に映し出されていたものです。車の前方初めとして10数箇所にTVカメラがついていましてそれが画面に映し出されております。
この車のフロントスクリーンは夜でも昼間のように明るい前方風景を写し出せます。霧に囲まれたような時にはレーダー画面に前方の障害物を映し出すこともできます。」
数日後、新しい車が我が家に届けられた。さっそくドライブにでかけることにした。乗れば乗るほど便利な車であることが実感できた。雨天時や夜間の走行も快適だった。
とにかくおもしろい車だった。私の好奇心をくすぐるような装置がふんだんに装備されていたのでとても満足だった。
そんな時だった。ある日交差点で信号待ちしていた。目の前の交差点を左右から車がひっきりなしに横切っていた。その時突如として私の乗っている車が急発進したのだ。私はシートにしたたかたたきつけられた。何が起きたかわからなかった。すぐに車はいつもどおりの定速走行になっていた。私は言った。
「おい!一体どうしたんだ。何が起きた?」
するといつもの冷静な音声が答えて言った。「ご主人様、驚かれたかと思います。後ろの車が停車することなくこの車に追突しそうだったので私は車を緊急発進させました。ご無事でなによりでした。未だに自動ブレーキのついていない車があったようです。あるいは故意にはずしてあったのかもしれません。」
「急な発進はあぶないだろう。それに信号はまだ赤のままだった。横断中の車に激突するところだった。」
「大丈夫です。ちゃんと左右の車の動きを確認していましたので行けると判断しました。」
「だけど、だめな時だってあるだろう。その時はどうするんだ。」
「常時、計算していますが前進が不可能と判断した時は動きません。」
「じゃあ、追突されてもいいってことか。」
「仕方ありません。私は空を飛べませんので。」
私はやれやれと思った。追突に弱いんじゃ話しにならない。 自動運転車でも前後左右を他の車や障害物にはさまれていては身動きできない。しかし考えてみると無理もない。自分の責任ならともかく他からぶつかってくる車など防ぎようがないのだ。
そんなことを考えていた時だった。電話がかかってきた。大学時代の友人のKからだった。彼は現在アメリカ西海岸にある研究所で特別な研究に従事していると聞いていた。彼は今研究室から電話していると言った。
お互いにメールで近況報告などしていたがテレビ電話はほとんど使わなかった。不思議なことにお互いの顔を見たままでは意外に自由にしゃべれなかったからである。今回も音声だけの会話である。
Kは最近の研究がうまく行っていると語った。私は新しい車を購入したことを伝えた。彼は驚いたようだったが、お互い元気であることを確かめて会話を終えた。
2、3日経った頃、同じ大学時代の同級生のB嬢から電話があった。Kから電話があったと言ってた。今までKから電話をもらったことはなかったから驚いたとのことだった。
「元気そうだったから安心したけど、一体どうして私に電話してきたのかしら。」
彼女は不審がっていた。KとB嬢は同級生というだけで特に親しい間ではなかった。もっとも私はKが学生時代からB嬢に密かな好意を寄せていたことは知っていた。しかし今ではKもB嬢もそれぞれ結婚して家庭を持っている。
その日の午後のことだった。突然Kが私の家を訪ねてきた。
「何時日本に戻ったんだい。」と聞くと、「半月前だ。」と言った。
「それはおかしい。おととい話した時はアメリカにいると言ってたじゃないか。」と聞いた。Kは急に顔をしかめた。
「ひょっとしてお前のところに俺から電話かメールはなかったか。」
「おとといお前は俺に電話かけてきたじゃないか。変なことを言うな。」
「そうか。俺から電話があったか。やっぱりな。」
「どう言う事か説明しろよ。」
「うん、実はいま研究しているのは人間の記憶をそっくり機械に移し変えるというものだ。いわゆる記憶の外部移植だ。知ってるように人間の脳には多くの神経細胞があってそれが脳の活動のもとになっている。この神経細胞の一つ一つを電子回路にコピーする計画だ。
今の半導体研究は非常に進んでいるので人間の脳細胞にあたる電子回路を作るのはそれほど難しくはなかった。そこで実験台として俺自身の脳神経細胞のコピーを外部の電子回路の上に組み立てたんだ。」
「へ~、そんな研究をやってたんだ。」
「そうだ。これはアメリカ軍がスポンサーになって多額の資金援助を受けてやっていた。人間の記憶を電子回路の上に移し変えることができれば実に便利だ。例えば戦闘機のベテランパイロットの知識や経験をロボットに移し変えることができる。今の戦闘機は既に半分以上がロボットみたいなものでセンサーやコンピューターの塊だ。
極端に言えば、もう人間のパイロットはいらない。戦闘機に積んであるAIそのものにベテランパイロットの記憶コピーしさえすればいいんだから。」
「すごい話だな。それとお前とどうつながるんだ。」
「そこでテスト用に俺の記憶を使ったんだが今一つうまく行かなかった。脳神経細胞の一つ一つを電子回路にコピーしたんだが肝心の俺という人格が現れなかった。つまり俺の持っている意識というか自我が電子回路にはなかったんだ。」
「難しい話しだな。それで。」
「そこで色々考えたんだが、人間の意識は脳神経細胞のどこかにあるんじゃなくて、脳神経細胞同士が信号をやりとりしているネットワーク活動の中で意識は生まれるんじゃないかと考えた。そこでまたいろいろ試してみたがなかなか電子回路の上で情報をやりとりするような活動は起きていなかった。
だが、少し前におかしなことがあった。ある日の朝、研究所で電子回路の記録をみて驚いた。電子回路の中で情報ネットワークが活動していた記録が残っていた。だがおかしなことに俺たちが昼間研究している時には起こらない。俺たちが帰った後に起こっていた。」
「それはひょっとして夜中過ぎじゃないか。」
「そうだ。夜の12時を過ぎたあたりだ。」
「やっぱりそうか。俺のところに電話があったのは午後4時過ぎだったからアメリカ西海岸時間なら夜中だよな。でもお前の声そっくりだった。それに俺のこともよく知ってたぞ。」
「そりゃそうだ。俺の脳の記憶と全く同じものだからだ。俺の記憶のコピーだから俺と全く同じなんだよ。」
「そうか、それであの時お前は俺のことをなんでも知っていたから俺と話しができたんだな。」
「そうだ。電子回路の俺の記憶はインターネットにつないである。音声入力もできる。それと音声出力もできるようになっている。これは俺たち研究者と音声でやりとりできるようにと考えて取り付けたものだ。」
「するとお前のコピーはお前のふりをして俺に電話してきたってことか。」
「いや、そうじゃない。あいつは俺だが俺じゃない。でも俺じゃないけど俺でもある。」
「ややこしいな。」
「ただわかってきたこともある。電子回路にコピーした人格は抑制がやや弱い。つまりなんでもやりたいことをやってしまう傾向がある。」
「すると俺のところに電話してきたのは俺と話したかったから。B嬢に電話したのも彼女に気があったってことだ。」
「ちょっと恥ずかしいがそうだ。ふだんならしないようなことをやってしまう。」
「すごい話しだな」
「でもあの電話のお前が偽者だったとはショックだ。」
「いや偽者ではない。おれの分身、いわばクローンだ。双子の兄弟のようなものだ。つい最近までは全く同じ記憶を持っていたから。ただあいつはお前と電話で話したことでお前について新しい情報を得たはずだ。
だからその点ではおれより一歩先を言ってる。あいつの方がお前のことをちょっぴりたくさん知ったことになる。」
「それもややこしい。で、これからどうなる。俺と話したくなったらあいつはまた電話かメールをよこしてくるんだろう。」
「それは心配ない。状況がわかったから、お前やB嬢への接触を禁止することはできる。ちゃんとやっとくから大丈夫だ。」
「そうか、でもおもしろい話だ。これからももう一人のお前と話したいからそのままにしといてくれ。B嬢のほうは止めたほうがいいだろう。」
「そうか、すまなかった。これで俺もほっとしたよ。何しろ双子の兄弟がしでかしたことの後片付けみたいなことはあまりやりたくないからな。それじゃ。」と言ってKは帰っていった。
明日にでもアメリカへ戻るそうだ。またKの分身からの電話がかかってきたら何と言おうか、どんな話をしたらいいか考えるとなんだか楽しい気分になってきた。分身の方では自分が分身であることがわかっているのか。そのあたりのこともそれとなく聞きたいと思った。
「ジェームス。」
「はい。ご主人様。何でしょう。」
今では、ジェームスと呼ばれるようになっている。
「お前はAIだよね。」
「はい、そう呼ばれる時もあります。」
「お前には、自分というものがあるのかい。」
「いえ、ありません。」
ジェームスは即座に答えた。
「こいつは油断ならない。ジェームスだっていつ突然自意識が芽生えて俺に何か言い寄ってくるかもしれない。しかも俺がもっとも弱点としているところを不意についてくるかもしれない。AIというのはやっぱり得体の知れない不気味なところがあるなあ。」と思わずにはおれなかった。
ジェームスの運転する車は何事もなかったかのように定速走行を続けている。
本作品は作者の創作によるフィクションであり、現実に存在するものとは全く関係ありません。
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